桃井 敦(ザ アワーグラス ジャパン代表取締役社長) 父親とジェンタとパテックとーTHE FINAL FRONTIER 開拓者に聞く

THE FINAL FRONTIER 開拓者に聞く

第1回 桃井 敦(ザ アワーグラス ジャパン代表取締役社長)
父親とジェンタとパテックと

デジタルの波に飲み込まれながらも、普及品と高級品へと二極分化していく流れの中、
アナログな腕時計を途絶やすことなく後世に伝えたいと願う桃井氏。
その思いを遡れば、全ては腕時計を愛した父のウンチクに始まっていた。
日本の高級腕時計の市場を創った、ジェラルド・ジェンタやパテック フィリップとも交錯する情熱の源泉を聞く。

Photos MURA
Words くろのぴーす

実は楽しい人間なんです

 この先、腕時計業界は極端に二極化すると思うんですよね。パテックを筆頭に高級なハイエンドの一群と、大衆に根付いた価格帯のリーズナブルなもう一群。それらが普及していく中、50万円ぐらいから100万円台ぐらいまでの中間的なものは苦戦すると思います。
 昔と違って、インターネットを始め様々な情報が山のようにあります。結局、業界人じゃなくても、一般のエンドユーザーが知り得ない情報がもうないわけですよ。そうすると、そのエンドユーザーの洗練度が上がってきて、ハイエンドでもないし、大衆向けでもないような中間層はますます売れなくなってくる。その傾向がもっと強くなってくるんじゃないですかね。
 たとえば、車で言うとベントレー、ロールスロイスか電気自動車か。どちらでもないようなものが、この先不調になってくるんじゃないでしょうか。そしてこれから先、ますますその傾向が進んでいってしまうでしょう。20年くらい前までは、消費者がいろんなジャンルの時計を楽しんでいましたけれど、お客様がだんだん洗練されてきちゃってますから。リシャールミルが売れているのがそうで、良い意味で、消費者が高いものにお金を注ぎ込む文化ができてきていますね。
 うちは、その中でも主に高級品を扱ってるわけですけれども、それが理由なのか、それとも僕の風貌や人相が悪いのか、親しくお付き合いのないお客様やメディア、業界の方からは怖い印象を持たれているようです。ちょっと地方に行くと、「桃井さんはインテリ◯◯◯かと思ってました」などと言われることもありました。しかし数回お会いして、お酒も入ったりすると、「こんなに愉快で楽しい人だと思いませんでした」とたいてい言われますけれど(笑)。
 でも、自分も最初から腕時計を着けこなせていたわけじゃないんです。最初に所有した高級品は、ロレックスのステンレスのデイトジャストですね。僕が23か4の頃に、身の丈に合っていないと思ったんですけれど、自分のお金で初めて買ったのがそれでした。毎晩、家でセルベットで磨きまくって、汚れを拭き取って、買った時の箱にしまいこんで、まるでディスプレイするかのように大切に使っていました。今から考えたら顔から火が出るぐらい恥ずかしい話ですが(笑)。
 その時計も、30過ぎぐらいの頃に、頑張ってた後輩が欲しい欲しいと言うのであげちゃいました。大事な腕時計でも結構人にあげちゃうタイプなんですよ。カラトラバとかロイヤルオークとかも、社員に譲っちゃいましたし。そのロレックスも、同じようにあげちゃったんです。思い入れがあっても、酔っ払った時に感動的な話をされちゃうと、「おお、そうか、じゃあこれやるぞ」って。さすがに、永久カレンダーとか、そこまで高いものはありませんが。ですから、周りからはいつも酔わされて、「その時計いいですね」と、取られそうになることがしょっちゅうあります(笑)。
 社員にあげちゃうのも、ある人に影響を受けて、良い時計を着けさせたいと言う思いもあるからなんです。現パテック フィリップ名誉会長のフィリップ・スターンですね。彼が社長時代からの何十年のお付き合いになりますけれども。そもそも憧れていた人でもありましたし、王者であるパテックのトップですから、お会いするまでは、ものすごいオーラがあって、成功者の体で来るんだろうなって思っていたんですよ。しかし、会ってみたらめちゃくちゃ地味で、コンサバティブな方で、大きなことも一切言わないんですよ。すごい実直な方で、ますます好きになっちゃいましたね。昨今の雇われCEOとは違いますから、スターンさんの時計愛が言葉の端々に感じられるんですよ。

一つだけ、私が模したとまではおこがましく言えませんが、参考にしていることがあります。30年ぐらい前に始めてスターンさんにお会いした時に、彼が自社の永久カレンダーをはめていたんですよ。それが、3940なんですけれど。現流品にはない古典的なクラシックなものなんですが、小ぶりで、ものすごくご本人に似合っていて。主張しすぎないんですけれど、それをさりげなく腕になさってたんですよ。実は我々の世界では、「お客様より良い時計するのは何事だ」とか、「販売側が良い時計を着けるな」とか言う方が多いんです。しかし、スターンさんの時計がめちゃめちゃ格好良かったですし、すごく誇り高くはめてらっしゃるし。僕にはとても近づくことは不可能ですけれども、それに影響されて、自分も周りになんと言われようが、自分が好きなものをはめるようになったんです。
 業界では、「お客様よりグレードの良い高い時計を着けたらいけない」みたいな不文律があるんです。「ステンレスしか着けたらいけない」とか言うところがあるみたいなんだけど、全くナンセンスだと思います。

機械式時計をなくさないで

 そもそも80年代に時計業界に入ったんですけれども、アワーグラスジャパンを設立したのが1996年なんですね。それまではシンガポールやオーストラリアにいましたから。日本市場においては、2002年に出店した当時は全国北海道から九州まで、あらゆる売り場を巡ったんですよ。百貨店から専門店、並行店までを観察しに行ったんですけれども、当時はハイエンドな高額機種、例えばミニッツリピーター、トゥールビヨンとか、特殊な高額モデルは、ほとんど在庫にする商慣習がなかったので、誰も店に持ってはいなかった。
 そういう特殊で高額なものを唯一売るときは、年1回のワールドウォッチフェアですとか、お店が時々行う催事の時だけメーカーから借りて陳列するという。ものが常時なかったのを散々見てきたんです。まだインターネットもない時代で、紙のカタログしか存在しませんから。そして、そのカタログを開くと、エントリーのステンレスから、上は超絶なリピーターからスプリット・クロノグラフまで載ってるのに、実物は誰も見たことがない。誰もそこに投資していなかった。それを見て僕は、うちの店は、特にそのハイエンドの高額品に軸足を置いた品揃えをしていこうと思ったんです。
 そうしてお店を開けたら、最初の2、3年は業界の口の悪い人から「潰れる、潰れる」と言われ続けてたんですよ。「まるでミュージアムのように鳴り物入りで出店したけれども、あんなのがうまく行くはずがない」と。ところが、出店直後から売れまくりました。従業員に対しても、「カタログでしか見たことがない高額な特殊モデルを、実際皆さんに触ってもらってはめてもらって、楽しんでもらいなさい」と言っていたので、高額品を世に普及させたという意味では、おそらく僕の影響があったと思います。

 その反面、冒頭で話したマーケットの二極化ですが、その一因を作ったのも僕なのかな、とも思っています。
 同じ高級腕時計でも、比較的安いメジャーなブランドと、超高級ブランドとの間に、50万円から100万円台ぐらいまでの中間的なブランドってあるじゃないですか。中間的なものは、買ってもどうせその後にグレードの高いものが欲しくなっちゃうから、この何十年間ずっと、お客様には「最初から良いものを買えばどうですか」と言ってきたんです。それが変に影響されてしまったのか、自分が二極化を作ってしまったような、ある種の罪悪感を感じています。一般の消費者だけじゃなくて、売る側の時計店の皆さんも、20年前はいろんなブランドを楽しんでらっしゃった。ところがブランド自体も、その流れで今は二極化して…

続きはクロノセオリーマガジン本誌でご覧ください。

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